つなブログ

日々の記録です

満喫!京都

最近海外旅行の記事を書きがちだが、私が住んでいる京都の良さも伝えたいので、この記事を書くことにした。ここでは、京都の祭りや近所の山を紹介したいと思う。

時代祭

先日、京都三大祭の一つとされる時代祭を観てきた。明治維新、江戸時代、安土桃山時代…と、歴史を遡りながら、当時の衣装を纏った人が行進するユニークな祭りだ。歴史を遡るという点が、厨ニ心をくすぐる。ところで私は、うっかりタイムマシンを開発してしまった大学生「オカリン」が歴史を改変して世界規模の陰謀に巻き込まれてしまうアニメ「シュタインズ・ゲート」が好きなのだが、この時代祭を観に行くときもオカリンの気持ちになりきっていた。私も京都の過去へタイムリープしてしまうのか…フーハハハ!という気持ちになった。 …これ以降アニメの話は一切出てこないので忘れて頂いても構わない。

後ろに尋常でない大きさの鳥居があるが、これは平安神宮のものである。大きすぎではないだろうか?一体どういう設計をしてしまったのだろうか。そう言えば、京都には面白鳥居スポットが幾つかあり、無数に鳥居が立っている伏見稲荷が有名である。初めて伏見稲荷に行ったときはあまりの鳥居の多さに鳥肌が立ったが、平安神宮の鳥居の大きさにも圧倒された。

そんなことを考えていると鉄砲隊が歩いてきた。こういうのを見るとワクワクしてしまう。私も鉄砲を構えたい。

ぼんやりと眺めていると、江戸時代の行列がやってきた。「江戸時代」と書いてあるだけで、江戸時代にタイムスリップした気になってしまう。

江戸時代と言えば「籠」だ。この籠の乗り心地を知りたい。将来は籠に乗れるような役職に着きたいものだ。

しばらく観ていると、「江戸時代婦人列」がやってきた。なるほど、こういうのもあるのか。

等身大の雛人形のようだ。心なしか、押している人はちょっと疲れていそうだ。

この長いやつは何か分からないのだが、格好いいので撮影してしまった。長いと格好いいという方程式が私の脳内にある。

この銃も比較的長いので、格好良いと感じて撮影した。

この兜はバイキングの様で良い。実用性には疑問が残るが、いかにも悪役が被っていそうな兜である。

そんなことを考えているうちに、もう室町時代だ。まさに光陰矢の如しである。

やはり、刀の格好良さも避けられない。日本等は持っているだけで格好いい。その上長いのだから、尚更格好いい。

時代祭の最後は弓で締めようと思う。途中から何時代か分からなくなってしまったが、とにかく色々な時代を旅した気分になった。私のようなにわかでも歴史を楽しむことができる時代祭は偉大である。

大文字山

五山の送り火をご存知だろうか。京都の夜に突然漢字が灯される祭りで、「大・妙・法・⛵・大・鳥居」が灯される。この文字のチョイスには謎が多く、私が特に納得できないのは「大」である。文字が重複しているではないか。この重複した「大」のうち、片方は大文字山で点灯される。この大文字山、ちょっと山登りするのに丁度よいので気に入っている。大文字山山頂までの道のりは程よい山道になっているのだが、片道1時間弱で登ることができてしまう。それ故、ちょっとした空き時間に山登りを楽しむことが可能なのだ。ここでは大文字山ハイキングの様子を紹介したい。

f:id:sabanokizushi:20181024141557p:plain 京都五山送り火 左大文字 | 京都市観光協会

大文字山の入り口は、意外にも銀閣寺の隣りにある。銀閣寺の前の坂は京都っぽいお店で繁盛しており、ついつい抹茶アイスを食べたくなってしまう。この日も抹茶アイスの誘惑に抗えず、購入してしまった。普段それほどアイスクリームを買うタイプではないのだが、銀閣寺坂では不思議と購入してしまう。銀閣寺は侮れない。

入り口はこんな感じだ。山に入ると木々の香りが心地よく、この時点で「山に来て良かった~」と感じる。

途中から早速「山に来るんじゃなかった」と感じる。やっぱり登山はしんどいのだ。

あと少しかな?と思ったところで絶望的な階段が待ち受けているのも大文字山の醍醐味だ。それまではバラエティに富んだ山道だったのに、終盤になっていきなり無機質な階段が待ち受けているのだからタチが悪い。

何だかんだで、いよいよ山頂に到着した。ここまで上り切ると、「登ってよかった~」と感じるのものだ。この謎のオブジェは、大文字焼きの「大」のうち、交差している「+」の部分である。間近で見ると全然字が繋がっていなくて面白い。

山頂からは京都の街並みが一望でき、大変気持ち良い。この景色を眺めながらお昼ご飯を食べると、普段の何倍にも美味しく感じる。昔の人もこの風景を観ながらご飯を食べたのだろうか、と想いを馳せる。

先程紹介した時代祭を観た、平安神宮の巨大な鳥居も、ここから眺めることができる。周りのビルと同じサイズ感で鳥居が立っているのはシュールだ。この距離からでもやっぱり鳥居のスケールがおかしいと思う。西には京都タワーも見え、京都がミニチュアのように小さく見える。こんな風景を眺めていると日頃の悩みも小さく見え… るが、下山するとそんな気持ちも吹き飛ぶのが人間だ。

ブログのオチを考えていたのだが、シメと言えばしめ鯖なので、好きな鯖寿司のことを書いてみようと思う。私は寿司の中で鯖寿司が一番好きで、何気ない瞬間に鯖寿司のことを考えてしまう。まず、鯖寿司のテカり具合は筆舌に尽くしがたい。鯖の皮をそのままに握る大胆さ、そして鯖の皮の模様がたまらない。寿司のネタがアフリカの先住民アボリジニのアートを想起させる芸術性に富んだ模様というだけで、テンションが上がってしまう。もちろん味も大変素晴らしく、ただ脂が乗っている魚というだけではなく、引き締まった印象を受ける。特に京都「いづう」の鯖寿司が大好物なのだが、ここの鯖寿司はなんと昆布に包んである。食べるときに昆布を外す工程は、プレゼントの袋を破るような楽しさがある。この昆布が酢飯のアクセントになっており、普通の寿司では味わえない深みを醸している。誕生日にはケーキの代わりに「いづう」の鯖寿司が欲しい。

ところで、以前居酒屋に入ったときに何気なく「鯖のきずし」を頼んだことがある。「きずし」と名乗るからには寿司なのだと思っていたが、酢飯のない刺身で失望した。「ずし」は一体なんなのか。これは寿司ではない!これはこれで美味しいのだが、寿司だと思って頼んだ落胆具合は筆舌に尽くしがたい。タイムマシンがあるならば、過去の自分に「きずしは寿司ではない」と伝えたい。そういう戒めを込めてIDを「sabanokizushi」にした。これからは、「きずし」かと思えば寿司だった、そういう記事を書いていきたい。